【 義雲院の歴史 】
創建当時の資料が存在せず、創建年代は不詳だが、初代住職・鉄山禅師が活躍していた時代と照らし合わせると、約450年の歴史があると考えられる。
【 義雲院の初代住職・鉄山宗鈍禅師 】
武田信玄の臣、石坂筑後守次包を父として甲府市、古上条に生まれる。
幼少より英知、聡明で、恵林寺快川国師について得度。
その後、静岡臨済寺の大原崇孚、東谷宗杲ら名僧に師事する。
【 鉄山宗鈍禅師の略歴 】
永禄10年 東谷禅師(徳川家康の師)より印可状を受く。
元亀元年 武田信玄公京都に上洛せんがため、先ず駿河臨済寺(今川家菩提寺)を再興、東谷禅師を上洛させ、妙心寺の住持たらしめ、京都で修行中の鉄山和尚を臨済寺住職になさしめた。
元亀2年 武田勝頼公より要請されて、生母諏訪御料人の17回忌を厳修する。
天正3年 武田家外護のもと大本山妙心寺に入寺、第80世となる。
天正4年 妙心寺山門造営をなす。
武田信玄公葬儀に際し、快川国師のもと、起骨の導師を務め法語を詠んでいる。
天正7年 武田勝頼公の命により戦勝祈願文を伊勢神宮、熊野三所権現に奉納す。
天正10年 織田軍により恵林寺消失、徳川家康公の命により恵林寺再興に尽力す。
天正20年 徳川家康公の要請により、武蔵野平林寺(松平信綱公菩提寺)を再興し、自ら中興開山となる。
天正21年 徳川家康公外護、大檀越として本山再住奉勅入寺す。
慶長8年 妙心寺を辞し、臨済寺に叢林を創設、後に九州臼枡の稲葉氏に招かれ多福寺に住し、また信州高遠の建福寺にも住した。
慶長11年 弟子大秀宗智の勧めにより中村一氏公菩提の為に本山頭塔大龍院を創建す。
天和3年 世寿86歳で遷化す。
正徳5年 中御門天皇より、霊光佛眼禅師の謚号を追贈される。